フィギュアスケート女子で世界選手権4度の優勝を果たし、3大会連続でオリンピックに出場した坂本花織さん。
2026年3月の世界選手権を最後に、21年以上にわたる現役生活に幕を下ろしました。
いつも明るく豪快な笑顔を見せる坂本花織さんですが、その長い競技生活を支えてきたのが家族の存在です。
父親は38年間にわたって兵庫県警に勤務した元警察官で、定年退職後はスポーツメンタルコーチとして活動。
母親は栄養士で、幼い頃から練習の送迎や食事管理など、生活面で娘を支えてきました。
さらに坂本花織さんには年の離れた2人の姉がいて、姉たちが社会人になってからはフィギュアスケートを続ける妹を金銭面でも支えていたといいます。
現在は4人の甥や姪を溺愛し、「おば活」に励んでいるという坂本花織さん。
今回は、坂本花織さんの父親や母親、2人の姉など家族構成について、家族とのエピソードとともに紹介します。
坂本花織の家族構成は?3姉妹の末っ子
坂本花織さんは、父親・母親・姉2人の5人家族で育ちました。
- 父親:坂本修一さん
- 母親:坂本悦子さん
- 長女:一般女性
- 次女:一般女性
- 三女:坂本花織さん
坂本花織さんは3姉妹の末っ子で、2人の姉とは10歳以上年齢が離れています。
父親は元警察官、母親は栄養士で、姉2人はそれぞれ教員の仕事に就いていると報じられています。
坂本花織さんが4歳でフィギュアスケートを始めてから世界のトップ選手になるまで、その競技生活を家族全員で支えてきました。
特にフィギュアスケートは、レッスン代やリンク代、衣装、遠征など多くの費用がかかる競技です。
父親と母親だけでなく、社会人になった姉たちも資金面で妹を支えていたといいます。
坂本花織さんが長年にわたって世界の第一線で競技を続けられた背景には、本人の努力はもちろん、家族の大きな支えがあったようです。
坂本花織の父親・修一は元警察官!副署長も務めた
坂本花織さんの父親は、坂本修一さんです。
修一さんは1982年3月に神戸学院大学法学部を卒業し、同年4月に兵庫県警の警察官になりました。
その後38年間にわたって警察官として勤務。
主に地域警察部門を担当し、約20年間は兵庫県警本部で勤務しています。
犯罪検挙に特化した本部執行隊や企画事務、現場指導、雑踏警備など幅広い仕事を経験し、2013年には警視に昇任。
兵庫県三田警察署の副署長や、兵庫県警察本部地域部地域指導課の次席などを務めました。
警察官という職業から「厳格なお父さん」を想像しますが、実際の修一さんはとても明るい人物のようです。
坂本家を知る人物によると、父親も母親も姉もいつもニコニコしていて、坂本花織さん本人もいつも笑顔だったのだとか。
花織さんが興味を持ったことはできる限り挑戦させる家庭だったようで、幼少期にはフィギュアスケートだけでなく、水泳やダンスも習っています。
一方で、挨拶などのしつけはしっかりしていたそうです。
現在の坂本花織さんといえば、明るく気さくなキャラクターで知られていますが、実は父親とは性格もよく似ているといいます。
修一さんを知るスポーツメンタルコーチの鈴木颯人さんによると、修一さんは「明るくて元気いっぱい」で、とても話好き。
人を笑わせることも好きな人物だそうです。
さらに、笑ったときの表情まで父娘でそっくりなのだとか。
坂本花織さんの明るさやユーモアのセンスは、父親譲りなのかもしれませんね。
坂本花織の父親は定年後にスポーツメンタルコーチへ転身
父・修一さんは2020年3月に兵庫県警を定年退職し、その後はスポーツメンタルコーチとして活動しています。
実は修一さんがスポーツメンタルコーチについて学び始めたのは、警察官として働いていた頃でした。
2019年にスポーツメンタルコーチングの講座を受講。
その理由の一つには、アスリートとして競技を続ける娘の存在があったようです。
講座では、
- 「娘の助けになってあげたい」
- 「アスリートを支える親としてどんなことができるのかを考えたい」
という趣旨の話をしていたといいます。
修一さんは非常に熱心に学び、ベーシックコースだけでなく、より高度な知識や技術を学ぶプロフェッショナルコースも修了しました。
もともと警察官時代にも若手警察官の育成や教育に携わっていたため、その経験も現在の活動につながっているようです。
定年退職後はスポーツ選手だけでなく、選手を支えるコーチや学校の部活動指導者、親子関係に悩む保護者へのコーチングや講演など、幅広い活動を行っています。
また、保護司や学校支援員、子育て中の母親をサポートする神戸市のファミリーサポーターとしても活動しています。
娘を支えたいという思いから学び始めたスポーツメンタルコーチングが、現在では多くの人を支える仕事につながっているのですね。
坂本花織がスランプだった時期も父親がそっと支えていた
父・修一さんの娘との向き合い方で印象的なのが、必要以上に口を出さず、見守ってきたことです。
坂本花織さんは2018年の平昌オリンピックで6位に入賞し、同年12月には全日本選手権で初優勝。
一気にトップ選手へと駆け上がりましたが、その後は燃え尽きたような状態になり、思うような成績を残せない時期も経験しています。
さらにコロナ禍でリンクが閉鎖され、スケートの練習ができない日々も続きました。
そんな時期、修一さんは娘を食事に誘っていたそうです。
「一緒にご飯に行こうか?」
と声をかけ、何かを教えたりアドバイスしたりするのではなく、花織さんの話に耳を傾けていたとみられています。
スポーツに熱心な親ほど、子供の競技についてつい口を出したくなるもの。
しかし修一さんは、娘との距離感を考えながら「見守る」ことを大切にしていたようです。
その後、坂本花織さんはコロナ禍を逆に成長のチャンスと捉え、体力トレーニングやダンスに取り組みました。
そして2022年の北京オリンピックで銅メダルを獲得し、その後は世界選手権3連覇を達成。
長い競技人生には浮き沈みもありましたが、父親は前に出て娘を引っ張るのではなく、必要なときに寄り添う存在だったのでしょう。
坂本花織の父親は広島県福山市出身!祖母も孫を応援
父・修一さんは、広島県福山市の出身です。
坂本花織さんの父方の祖母は、福山市にある素盞嗚神社の近くに住んでいた時期があり、孫である花織さんの必勝祈願に神社を訪れることもあったそうです。
神社の宮司によると、祖母は孫のことを心配しながら、
「これから活躍してほしい」
と話していたといいます。
2026年のミラノ・コルティナオリンピックで坂本花織さんが銀メダルを獲得した際には、ゆかりのある神社でもその活躍を喜んでいました。
神戸で育った坂本花織さんですが、広島にも彼女の活躍を長年見守ってきた家族とのつながりがあったのですね。
坂本花織の母親・悦子は栄養士!食事管理で娘をサポート
坂本花織さんの母親は、坂本悦子さんです。
悦子さんは栄養士と報じられています。
坂本花織さんが世界のトップスケーターになるまで、母親は特に生活面で大きな役割を担ってきました。
花織さんがフィギュアスケートを始めた当時、兵庫県内には年間を通して利用できるスケートリンクがなかったため、夏場は神戸から大阪まで練習に通っていたそうです。
その送迎を担当していたのが母・悦子さんでした。
朝早く家を出て、練習が終わるのは深夜。
時には日付が変わるほど遅くなることもあったといいます。
2026年の引退会見で坂本花織さん自身も、
「眠たい中でも運転してくれた」
と、母親への感謝を語っています。
さらに成長期には、競技に影響が出ないよう体重管理にも気を配り、食事面でも娘を支えていました。
4歳から始まった21年以上の競技生活。
華やかな大会の舞台に母親が登場することはほとんどありませんでしたが、坂本花織さんが毎日練習できる環境を整え続けた、まさに縁の下の力持ちだったようです。
坂本花織が引退後に食べたかったのは「お母さんのコロッケ」
母・悦子さんとのエピソードで印象的なのが、手作りのコロッケです。
坂本花織さんは現役引退後、「一番何が食べたい?」と聞かれた際に、
「お母さんの作ったコロッケ」
と答えていました。
その言葉を、母親はしっかり覚えていたそうです。
ところが、しばらく作っていなかったため、なんと娘が最後の世界選手権を終える前からコロッケ作りを練習。
坂本花織さんが2026年3月31日に帰国し、自宅へ送り届けてもらった際、
「これコロッケ」
と手渡してくれたといいます。
坂本花織さんはその日のうちに食べたそうで、「引退後、最初のご褒美」になりました。
現役時代は食事のサポートを受けながら油ものを控えていたうえ、6年間一人暮らしをしていたため、母親のコロッケを食べる機会もほとんどなかったそうです。
世界選手権4度の優勝やオリンピックのメダルなど、数々の栄光を手にしてきた坂本花織さん。
そんな彼女が21年以上の競技生活を終えて最初に食べたかったものが、豪華な料理ではなく「お母さんのコロッケ」だったというのは、母娘の関係性が伝わるエピソードですね。
引退会見では母親から、
「4歳でスケートと出会い21年 世界中の方に笑顔と幸せを運んでくれた花織 心も身体もとても素敵な女性になったね!」
というメッセージも贈られました。
その言葉を聞いた坂本花織さんは大粒の涙を流し、「すごくうれしいです」と話しています。
坂本花織には10歳以上年上の姉が2人!職業は教員
坂本花織さんには、10歳以上年の離れた2人の姉がいます。
2人とも一般の方のため、名前や詳しいプロフィールは公表されていません。
姉たちはそれぞれ小学校と幼稚園で教員をしていると報じられています。
坂本花織さんは、そんな2人の姉の影響を受けて育ちました。
幼い頃には姉たちが水泳を習っていたことから、自身も3歳から水泳をスタート。
一時期は週5回水泳に通いながら、週3回スケートをするというハードな生活を送っていました。
小学2年生の頃には、水泳の選手コースに進むか、フィギュアスケートを本格的に続けるかという選択を迫られています。
最終的に選んだのはフィギュアスケート。
その理由を本人は「息がしやすかったから」と話しており、坂本花織さんらしいユーモアを感じさせます。
また、坂本花織さんが幼い頃に抱いていた夢は「中野先生になる」ことでした。
小学校と幼稚園で先生をしている姉たちを見ていた母親から「花織は何の先生になるの?」と聞かれ、「中野先生」と答えていたそうです。
2026年に現役を引退した坂本花織さんは、今後、中野園子コーチのもとで指導者の道へ進みます。
子供の頃に口にしていた「中野先生になる」という夢が、形を変えて現実になろうとしているのですね。
坂本花織の姉2人も金銭面でフィギュア生活を支えていた
2人の姉は、坂本花織さんにとって競技生活を支えてくれた大切な存在でもあります。
フィギュアスケートは、競技を続けるだけでも多額の費用がかかることで知られています。
リンク代やレッスン代だけでなく、衣装やスケート靴、遠征費なども必要です。
坂本花織さんの姉たちは、社会人になってから妹がフィギュアスケートを続けられるよう、資金援助をしていたとされています。
10歳以上年齢が離れているからこそ、姉というより、時には親に近いような感覚で妹を見守っていた部分もあったのかもしれません。
また、坂本花織さんは2026年のミラノ・コルティナオリンピック出場について、密かに抱いていた「3大会連続オリンピック出場」という目標を姉にだけ明かしていました。
北京オリンピック後、4年後の大会を目指すと決めた時から、「これは絶対に達成したい」と考えていた坂本花織さん。
誰にも広く話していなかった大切な目標を姉にだけ伝えていたことからも、姉妹の信頼関係がうかがえます。
坂本花織は甥っ子・姪っ子を溺愛!「おば活」に夢中
現在の坂本花織さんが夢中になっているのが、2人の姉の子供たちです。
坂本花織さんには、甥2人と姪2人の計4人がいます。
テレビに坂本花織さんが映ると、子供たちは「かおちゃん」と呼んでくれるのだとか。
そんな甥や姪を坂本花織さんは溺愛しており、自ら「おば活に励んでおります」と話しています。
オフには姉の代わりに子供の面倒を見ることもあり、水泳のベビークラスに連れて行ったことも。
世界女王があまりにも自然に保護者の中に溶け込んでいたため、当初は周囲から、
「坂本花織選手のそっくりさんがいる」
と思われていたというエピソードもあります。
2025年11月頃には、姉たちの子供の七五三とお宮参りを兼ねた家族写真の撮影にも参加。
母親や姉たちとともに写真館を訪れ、赤ちゃんをずっと抱っこしながら、元気いっぱいの子供たちに、
「じっとして!」
「横向かんとカメラ見て!」
と声をかけていたそうです。
写真館の代表によると、子供たちの機嫌が良くなる雰囲気を作りながら上手にまとめ、赤ちゃんを抱くのもとても上手だったのだとか。
坂本花織さんは以前、姉が子供を産んだことをきっかけに、自分自身も子供がほしいと思うようになったことを明かしています。
家族の中では世界的なフィギュアスケーターというより、甥や姪に夢中な「かおちゃん」なのかもしれませんね。
坂本花織の明るい性格は家族譲り?
坂本花織さんといえば、いつも明るく、周囲を笑顔にするキャラクターも魅力の一つです。
その人柄には、家族から受けた影響も大きいようです。
父・修一さんは、娘と同じように明るく話好きで、人を笑わせることが好きな人物。
さらに坂本花織さん自身は、2人の姉に似たコミュニケーション能力も持っているといわれています。
一方、母・悦子さんは表舞台に出ることが少ない控えめな人物ながら、娘のために早朝から深夜まで練習の送迎をし、食事や生活面を支えてきました。
父親は娘との距離感を考えながら見守り、母親は日々の生活を支え、姉たちは社会人になってから金銭面でもサポート。
家族それぞれが違う形で、坂本花織さんのスケート人生を支えてきたことが分かります。
坂本花織さんが世界のトップに立っても気取らず、周囲への気遣いを忘れないのは、そんな温かい家族の中で育ったことも関係しているのかもしれません。
まとめ
今回は、坂本花織さんの父親や母親、2人の姉など家族について紹介しました。
坂本花織さんは父親・母親・姉2人の5人家族で育った、3姉妹の末っ子です。
父・修一さんは38年間兵庫県警に勤務し、副署長などを務めた元警察官。定年退職後は、娘を支えたいという思いから学んだ経験も生かし、スポーツメンタルコーチとして活動しています。
母・悦子さんは栄養士で、幼い頃から練習の送迎や食事管理など生活面で娘を支え続けました。
そして10歳以上年の離れた2人の姉も、社会人になってから妹の競技生活を金銭面でサポートしていたといいます。
現在の坂本花織さんは、姉たちの4人の子供を溺愛。「おば活」に励み、習い事に連れて行ったり、七五三の撮影を手伝ったりと、甥や姪との時間を楽しんでいます。
4歳でフィギュアスケートを始め、21年以上にわたって競技を続けてきた坂本花織さん。
世界選手権4度の優勝やオリンピック4個のメダルという輝かしい実績の裏には、それぞれの形で長い競技人生を支えてきた家族の存在がありました。
現役を引退し、これからは指導者として新しい道を歩む坂本花織さん。
幼い頃から家族に支えられて夢を追い続けた経験は、これから自身が選手を育てる立場になったときにも生かされていくのではないでしょうか。