フィギュアスケート女子で世界選手権4度の優勝を果たし、3大会連続でオリンピックに出場した坂本花織さん。
2026年3月の世界選手権を最後に、21年以上にわたる現役生活に幕を下ろしました。
4歳からフィギュアスケートを始め、世界の頂点まで駆け上がった坂本花織さんですが、海外に拠点を移すことなく、生まれ育った神戸で学生生活と競技を両立してきました。
高校時代には17歳で平昌オリンピックに初出場。
大学時代には北京オリンピックで銅メダルを獲得し、世界選手権でも優勝するなど、学生でありながら世界のトップスケーターとして活躍しています。
一方で、学校では廊下でジャンプをして禁止令を出されたり、「単位くれー!」と叫びながらパソコンに向かったりと、意外にも親しみやすいエピソードがたくさんあります。
今回は、坂本花織さんの出身大学・高校・中学校・小学校などの学歴や学生時代のエピソード、フィギュアスケートを始めたきっかけについて紹介します。
坂本花織のプロフィール
名前:坂本花織(さかもと かおり)
生年月日:2000年4月9日
出身地:兵庫県神戸市
身長:159cm
出身大学:神戸学院大学
所属:シスメックス
競技:フィギュアスケート女子シングル
競技開始:2004年
現役引退:2026年3月
坂本花織さんは4歳からフィギュアスケートを始め、2018年の平昌オリンピックに17歳で初出場しました。
2022年の北京オリンピックでは個人銅メダルを獲得し、2026年のミラノ・コルティナオリンピックでは個人・団体ともに銀メダルを獲得。
世界選手権では日本女子最多となる4度の優勝を果たし、2026年3月の世界選手権を最後に現役を引退しています。
坂本花織の学歴一覧
坂本花織さんの学歴は以下の通りです。
- 小学校:神戸市立なぎさ小学校
- 中学校:神戸市立渚中学校
- 高校:神戸野田高等学校
- 大学:神戸学院大学経営学部
坂本花織さんは神戸市で生まれ育ち、幼稚園から大学まで神戸市内の学校に通っています。
世界のトップ選手になると海外へ練習拠点を移すケースもありますが、坂本花織さんは競技人生を通して神戸を拠点としてきました。
その理由について、坂本花織さんは長年指導を受けてきた中野園子コーチとグレアム充子コーチの存在を挙げています。
「この2人がいるからこそ自分も世界で戦えるようになった」と感じていたため、神戸から出るという選択肢はなかったそうです。
学生時代も神戸で学びながらスケートを続け、高校時代には平昌オリンピック、大学時代には北京オリンピックに出場。
坂本花織さんの学歴を振り返ると、そのまま世界のトップスケーターへと成長していく過程にも重なっています。
坂本花織がフィギュアスケートを始めたきっかけは朝ドラ「てるてる家族」
坂本花織さんがフィギュアスケートを始めたのは4歳のときです。
きっかけとなったのは、2003年度後期に放送されたNHK連続テレビ小説「てるてる家族」でした。
ドラマに登場する姉妹の中にフィギュアスケート選手を目指す人物がおり、その姿を見た坂本花織さんは、
「私もやりたい」
と母親に伝えたそうです。
母親は娘の希望を受け入れ、スケート教室へ通わせることにしました。
坂本花織さんが通い始めた教室を指導していたのが、その後21年以上にわたって師弟関係を築くことになる中野園子コーチです。
ただ、最初からフィギュアスケート一本だったわけではありません。
坂本花織さんは3歳から水泳も習っており、一時期は週5回水泳に通いながら、週3回スケートをする生活を送っていました。
小学2年生になる頃には、水泳の選手コースへ進むか、フィギュアスケートを本格的に続けるかという選択を迫られます。
そこで坂本花織さんが選んだのがフィギュアスケートでした。
理由はなんと、
「息がしやすかったから」
世界女王になる選手の競技選択としては意外な理由ですが、坂本花織さんらしさを感じるエピソードですね。
こうして4歳の少女が朝ドラを見て抱いた「スケートをやってみたい」という気持ちは、やがて世界選手権4度の優勝、3大会連続のオリンピック出場へとつながっていきました。
坂本花織の出身小学校は神戸市立なぎさ小学校
坂本花織さんの出身小学校は、神戸市立なぎさ小学校です。
小学生の頃にはすでにフィギュアスケートの練習に励んでいました。
しかし、当時の兵庫県内には年間を通して利用できるスケートリンクがなかったため、夏場になると神戸から大阪まで練習に通っていたそうです。
その送迎を担当していたのが母・悦子さんでした。
朝早くから練習へ向かい、帰宅が日付をまたぐほど遅くなることもあったといいます。
また、小学3年生の頃には練習不足を補うため、登校前のランニングも始めています。
HAT神戸の海岸沿いを約30分走り、その横を母親が自転車で伴走するのが日課でした。
朝が苦手で走ることも好きではなかったという坂本花織さんですが、「お水ちょうだい」と言えば横から母親が渡してくれたそう。
母親は何かを言うわけではなく、ただそばで娘のトレーニングを見守っていました。
小学生の頃から、学校へ行く前にも身体を動かし、放課後はスケートの練習へ向かう生活。
後に世界でも評価される坂本花織さんのスピードや体力の土台は、こうした幼い頃からの積み重ねによって作られていったのでしょう。

坂本花織の出身中学校は神戸市立渚中学校
坂本花織さんの出身中学校は、神戸市立渚中学校です。
中学時代にはすでにフィギュアスケート選手として本格的に競技に取り組んでいました。
ただ、坂本花織さん自身はノービスからジュニア時代について、成績にはかなり波があり、「いい方が少なかった」と振り返っています。
ジュニア時代にはなかなか結果が伸びず、日本代表のジャージーを着ながら泣いていることも多かったそうです。
現在では世界選手権4度の優勝という圧倒的な実績を持つ坂本花織さんですが、幼い頃から常にトップを走り続けていたわけではありません。
思うような結果が出ない時期を経験しながらも競技を続け、少しずつ力をつけていきました。
2026年7月には、現役引退後に母校の渚中学校を訪問。
約300人の後輩たちと交流し、「諦めそうなときにどう自分を奮い立たせるのか」と質問されると、
「一回諦めてみてもいい。それで諦めた自分が嫌だなと思ったらまた頑張れることもある」
と自身の考えを伝えています。
最後には「やりたいことは精いっぱいやっていきましょう」と後輩たちにエールを送りました。
結果が出ずに苦しんだ時期も経験した坂本花織さんだからこそ、後輩たちにも無理に「諦めてはいけない」と言うのではなく、自分の気持ちと向き合うことの大切さを伝えたのかもしれません。
坂本花織の出身高校は神戸野田高校
坂本花織さんの出身高校は、神戸野田高等学校です。
2016年4月に入学し、2019年3月に卒業しています。
高校時代の坂本花織さんは、まさに世界のトップスケーターへと大きく飛躍した時期でした。
2017年の世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得すると、シニアへ転向。
そして高校2年生だった2017年12月の全日本選手権で2位に入り、2018年の平昌オリンピック代表の座をつかみました。
当時17歳。
初めて出場したオリンピックでは6位入賞という結果を残しています。
坂本花織さん自身にとって特に印象深かったのは、オリンピック本番よりも代表を決めた全日本選手権だったそうです。
大会前には体重をかなり絞っており、
「これで結果を残さないと減量の苦労が水の泡になる」
という強い気持ちで臨んでいました。
ショートプログラムではノーミスの演技で自己ベストを更新し、3連覇中だった宮原知子さんを抑えて1位。
坂本花織さん自身も「夢みたいなことが起こった」「やればできるやん」と、大きな自信になったと振り返っています。
翌日のフリーを終え、総合2位で平昌オリンピック代表に決定。
本人にとって平昌オリンピックは「ご褒美みたいな感じ」だったといいます。
高校生でありながら、日本代表として世界最高峰の舞台に立つまでに成長していきました。
坂本花織は高校でクラスの中心的存在!廊下でジャンプ禁止令も
世界を舞台に活躍していた坂本花織さんですが、学校ではごく普通の高校生活も楽しんでいました。
入学直後、同級生から、
「スケートやってるの?ジャンプ跳んで」
と言われ、なんと学校の廊下でジャンプを披露。
その後もリクエストに応えていたのか、数か月後には「廊下でジャンプ禁止令」が出されてしまったそうです。
高校時代から現在と変わらない明るい性格で、担任だった山本知穂先生によると「クラスの中心的な存在」でした。
坂本花織さんが世界で頑張る姿がクラスの原動力となり、周囲にも良い影響を与えていたといいます。
一方、坂本花織さん自身も学校の友人たちに支えられていました。
スケートの練習で怒られて暗い気持ちで学校へ行っても、クラスメートと過ごしているうちに夕方には気持ちを切り替えられたそうです。
2019年2月の卒業式では、
「3年間みんなの笑顔に支えられ、つらい時も乗り越えられた」
とクラスメートに感謝を伝え、涙を流しました。
スケートだけに集中するのではなく、学校に自分の居場所があったことも、厳しい競技生活を続けるうえで大きな支えになっていたようです。
坂本花織は高校時代に反抗期!母親から10キロ走って逃げた?
高校時代の坂本花織さんには、意外にも激しい反抗期がありました。
本人によると、反抗期は高校2~3年生の頃。
母親に反抗すると、とにかくその場から逃げていたそうです。
あるときには母親が進んでいる方向とは反対へ走り出し、
「多分10キロくらい走って逃げた」
と明かしています。
家から出て行こうとした際には、母親からつかまれて「行くな」「もうホンマにやめなさい」と止められたこともあったのだとか。
ちょうどこの時期は、シニアへ転向し、平昌オリンピック出場を果たすなど、競技面でも大きな変化を迎えていました。
世界のトップ選手として戦う一方、家庭では母親に反抗する普通の高校生でもあったのですね。
現在では母親が長年練習の送迎や食事管理をしてくれたことに感謝を語っている坂本花織さん。
こうした反抗期も含め、母娘でさまざまな時期を乗り越えてきたことが分かります。
坂本花織の出身大学は神戸学院大学経営学部
坂本花織さんは高校卒業後、2019年4月に神戸学院大学経営学部へ進学しました。
神戸学院大学を選んだ理由の一つは、将来フィギュアスケートの指導者になることを考えていたためです。
坂本花織さんは大学入学時から、
「スケートの指導者になりたい」
という思いを持っていました。
そこで将来のために、経営学部で組織論やリーダーシップなどを学んでいます。
また、神戸学院大学は坂本花織さんの練習拠点から近く、両親の母校でもありました。
世界を転戦するトップアスリートでありながら通信制ではなく通学を選んだのは、「スケート以外の友達を作りたい」という思いもあったそうです。
もともと人と話すことが大好きな坂本花織さん。
スケートで行き詰まったとき、周囲にスケート関係者しかいなければ、どうしても同じ視点からのアドバイスが多くなります。
大学ではサッカーやバレーボールなど、違うスポーツに取り組む友人もできました。
シーズン後半に大きな大会が続き、何から手をつければいいのか分からないほど追い詰められたときには、そんな友人たちが寄り添ってくれたといいます。
競技の専門用語ではなく、普段使っている言葉で話せる友人の存在が、坂本花織さんにとって大きな支えになりました。
大学で得たものは、学問だけではなかったようです。
坂本花織は北京五輪直前も課題を提出!学業とスケートを両立
坂本花織さんの大学生活は、世界のトップスケーターとして最も忙しい時期とも重なっています。
大学3年生だった2022年には、北京オリンピックに出場。
団体で銀メダル、女子シングルで銅メダルを獲得しました。
さらに同年の世界選手権では初優勝を果たしています。
普通に大学へ通うだけでも大変な中、国内外の大会を転戦しながら学業も続けていました。
指導教授の田中康介さんによると、坂本花織さんはどれだけ忙しくても課題の期限を守り、しっかりとしたリポートを提出していたそうです。
北京オリンピックへ出発する直前でさえ、
「課題は期限通り必ず出します」
とメールを送っていました。
大学側からはオリンピックシーズンに休学する選択肢も示されましたが、坂本花織さんは卒業にこだわり、競技と学業の両立を続けました。
大学の代表としてインカレにも出場し、2022年と2023年には2連覇を達成。
世界選手権女王になった後もインカレへの出場を続けた理由について、
「神戸学院大として出場するので、大学に貢献できるから」
と話しています。
さらに、インカレに出場することで年末年始も気持ちを緩めずに済むという理由もあり、自分自身を律するための大会としても位置づけていました。
世界女王になっても「大学のために」と学生大会に出場する姿からは、母校への思いも伝わってきます。
坂本花織は大学を4年半で卒業!単位不足も明るく報告
競技と学業の両立に奮闘した坂本花織さんですが、実は大学を4年間で卒業することはできませんでした。
理由は単位不足です。
入学当初は「4年で卒業する気満々」だったものの、2023年春には必要な単位が足りず、卒業が半年延びることになりました。
坂本花織さん自身も後に、
「単位くれーって叫びながら、パソコンとにらめっこしていました(笑)」
と大学時代を振り返っています。
最終的には2023年秋、4年半をかけて神戸学院大学を卒業しました。
本人は卒業後、
「卒業が半年伸びたからこそ、こうして卒業式に出席することができました!」
と報告。
もし予定通り春に卒業していたとしても、世界選手権と日程が重なっていたため卒業式には出席できなかったそうです。
そのため、
「『学生最後の卒業式はちゃんと出なさい!』という神様のお告げだと思ってます」
と、坂本花織さんらしく前向きに受け止めていました。
オリンピックや世界選手権を戦いながら大学へ通い、4年半かけてつかんだ卒業。
本人にとっても思い出深い学生生活となったようで、「本当に充実した日々で最高に楽しかった」と振り返っています。
坂本花織が大学で学んだことは現在の指導者への道につながっている
坂本花織さんが大学で経営学を選んだ理由の一つは、将来スケートの指導者になるという夢でした。
大学では組織論やリーダーシップを学び、リポートでは子供たちがスケートに触れられる環境を整える必要性について提言したこともあります。
そして2026年3月、21年以上にわたる現役生活を終えた坂本花織さんは、指導者への道を歩み始めました。
大学卒業から約2年半後の2026年4月には、母校・神戸学院大学の入学式に特別ゲストとして登場。
約2600人の新入生を前に、自身の大学生活について語りました。
大学1年生の頃には履修登録に苦戦したものの、友人を少しずつ増やし、分からないことは教授にも頼って乗り越えたそうです。
そんな自身の経験から後輩たちに、
「一人で抱え込まず、教授たちも頼り、やりたいことをやりきりましょう」
とメッセージを送りました。
大学時代の友人とは卒業後も交流が続いており、試合やアイスショーを見に来てくれたり、試合の前後に連絡をくれたりするそうです。
坂本花織さん自身も、
「今からの人生、大学で学んだことがやっと生かされる時が来る」
と話しています。
朝ドラを見て「スケートをやりたい」と言った4歳の少女が、21年以上の競技生活を経て世界女王となり、今度は次の世代を育てる立場へ。
大学進学時に思い描いていた「スケートの指導者になる」という夢は、現役引退後の現在へとしっかりつながっています。
まとめ
今回は、坂本花織さんの出身大学・高校・中学校・小学校などの学歴や、フィギュアスケートを始めたきっかけについて紹介しました。
坂本花織さんは神戸市立なぎさ小学校、神戸市立渚中学校、神戸野田高校を経て、神戸学院大学経営学部へ進学しています。
フィギュアスケートを始めたのは4歳のとき。
NHK連続テレビ小説「てるてる家族」を見て「私もやりたい」と思ったことがきっかけでした。
小学生の頃には母親と登校前のランニングに励み、中学時代にはなかなか結果が出ずに苦しんだ時期も経験。
高校では大きく飛躍し、17歳で平昌オリンピックに出場しました。
神戸学院大学へ進学後は、将来指導者になることを見据えて組織論やリーダーシップなどを学びながら競技を継続。
大学3年生では北京オリンピックの個人銅メダルを獲得し、その後は世界選手権女王にも輝きました。
世界を転戦しながら大学へ通う生活は決して簡単ではなく、最終的には4年半をかけて卒業しています。
学校では多くの友人や先生に支えられ、坂本花織さん自身も「最高に楽しかった」と振り返る学生生活。
そして2026年に現役を引退した現在は、大学入学時から思い描いていた指導者への道を歩み始めています。
幼稚園から大学まで、生まれ育った神戸で学びながら世界の頂点まで駆け上がった坂本花織さん。
これまで自分が多くの人に支えられてきた経験と、大学で学んだ知識を生かし、今度は指導者としてどのような選手を育てていくのか楽しみですね。